中間淳太の学歴を徹底解説!関西学院大学卒の秀才が何度もジャニーズを辞めようとした理由と4ヶ国語を話すマルチリンガルの軌跡

WEST.(旧ジャニーズWEST)の最年長メンバーとして活躍する中間淳太さん。実は関西学院大学を卒業した高学歴の持ち主で、日本語、英語、中国語(北京語)、広東語の4ヶ国語を操るマルチリンガルでもあります。台湾人の父と日本人の母を持つハーフで、小学4年生から中学卒業まで台湾で過ごすという国際的な環境で育ちました。

しかし、その華々しい経歴の裏には、何度もジャニーズ事務所を辞めようと悩んだ苦悩の時期がありました。高校時代、そして大学時代と、2度も辞めることを真剣に考えた中間さんが、なぜ踏みとどまり、現在の成功を手にしたのか。

この記事では、中間淳太さんの学歴と成長の軌跡を詳しくご紹介します。

中間淳太の学歴の全体像

中間淳太さんの学歴を時系列で整理すると、以下のようになります。

中間さんは兵庫県神戸市で生まれ、台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフです。家族構成は両親と3歳年下の弟の4人家族で、祖父は台湾で貿易関係の仕事をする資産家、父親も貿易関連の仕事に従事しているという裕福な家庭で育ちました。

出身小学校

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小学校は父親の教育方針により、神戸中華同文学校小学部に入学。小学4年生の時に父親の仕事の都合で台湾に移住し、台北市日僑学校(日本人学校)に転校して卒業しました。

出身中学校・高校

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中学校も同じく台北市日僑学校に進学し、台湾での生活を続けます。中学時代にKinKi Kidsの台湾コンサートと同時開催された台湾Jr.オーディションに参加し、ジャニー喜多川さんと面識を持ちました。中学3年生の時、日本帰国を前に猛勉強して関西学院高等部(偏差値67)に合格。高校入学と同時に日本に帰国し、高校1年生の時にジャニーズ事務所に入所しました。

出身大学

高校卒業後は内部進学で関西学院大学社会学部社会学科(偏差値58)に進学。大学時代は学業にも真剣に取り組み、成績優秀者に選ばれたこともあります。大学3年生の時には就職を考えてジャニーズを辞めようとしましたが、ジャニーさんの説得や周囲の励ましで思いとどまりました。

大学をしっかりと卒業した後も関西ジャニーズJr.として活動を続け、2014年4月、26歳の時にジャニーズWESTのメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。

中間淳太の小学校時代

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神戸中華同文学校での国際教育

中間淳太さんが最初に入学したのは、神戸中華同文学校小学部です。この学校は1899年に開校した華僑の子弟のための教育機関で、俳優の野村周平さんもこの学校の出身者です。

中間さんの父親は、息子を国際派に育てるという明確な教育方針を持っていました。そのため、幼稚園時代から英語を学ばせ、小学校は中華学校に入学させました。この選択は、将来的に祖父の貿易会社を継ぐことも視野に入れた、戦略的な教育方針だったと考えられます。

中間さんは3歳から英語を習い始め、小学3年生の時には中国語も習得していたと言われています。このような早期からの語学教育が、後の4ヶ国語を操るマルチリンガルとしての基盤となりました。

裕福な家庭環境と金持ちエピソード

中間さんの実家は非常に裕福で、数々の「お金持ちエピソード」が知られています。回転寿司に行ったことがなかった、100円ショップで買い物をしたことがない、Jr.時代に8万円のジャージを着ていた、値段を見ないで買い物をしていた、といったエピソードからも、その裕福さがうかがえます。

祖父は台湾で貿易関係の仕事をしており、相当な資産家です。一説には台湾の財閥家の出身とも噂されています。父親も貿易関連の仕事をしており、経済的に恵まれた環境で育った中間さんは、教育にもお金をかけてもらえる立場にありました。

台湾への移住と日本人学校での生活

小学4年生の時、中間さんの人生に大きな転機が訪れました。父親の仕事の都合で台湾に移住することになり、台北市日僑学校(日本人学校)に転校したのです。この学校は台湾で最大規模の日本人学校で、俳優の金城武さんや石田ゆり子さん、石田ひかりさんも卒業生として知られています。

台湾での生活は、中間さんにとって新たな言語と文化を学ぶ機会となりました。小学6年生の時には、ブラックビスケッツのメンバーとして台湾を訪れた南原清隆さんと一緒に記念写真を撮ってもらったこともありました。

南原清隆と写真を撮っていた

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後に「ヒルナンデス!」で南原さんと共演することになるのですから、人生の不思議な縁を感じさせるエピソードです。

子供の頃からあまりスポーツが得意ではなかったという中間さんですが、運動神経が悪いことに気づいたのはジャニーズJr.として活動するようになってからだと語っています。小学校時代は台湾での新しい生活に適応することに精一杯だったのかもしれません。

中間淳太の中学校時代

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台北市日僑学校での学校生活

中学校も引き続き台北市日僑学校に進学した中間さん。しかし意外にも、中学時代の成績はかなり悪かったそうです。本人もインタビューで台湾時代は「勉強もスポーツもしないで遊びほうけていた」と述べています。

裕福な家庭で育ち、将来は祖父の会社に入ることも選択肢としてあった中間さんにとって、勉強に身が入らなかったのかもしれません。両親は「なんかやらせなきゃ」と心配し、このことがきっかけとなって、母親がジャニーズの台湾Jr.オーディションの受験を勧めることになります。

KinKi Kids台湾コンサートとジャニーさんとの出会い

中学時代の中間さんにとって大きな転機となったのが、2001年6月に開催されたKinKi Kidsの台湾コンサートでした。このコンサートと同時開催された台湾Jr.オーディションに参加した中間さんは、そこでジャニー喜多川さんと面識を持つことになります。

当時のエピソードを中間さんは次のように語っています。「かなりの人数が応募してたんです。僕と友だちだけが日本人だったんで、珍しかったのか、ジャニーさんに『ユーたち日本人なんだ』って声をかけてもらって。それと『日本に帰ったら連絡して』って」

興味がなかった

しかし当時の中間さんは、将来は祖父の会社に入社することを考えており、芸能界にも興味はなく、ジャニーズ事務所やKinKi Kidsも知らなかったとコメントしています。ジャニーさんとの出会いは、この時点ではまだ中間さんにとって大きな意味を持つものではありませんでした。

猛勉強で関西学院高等部に合格

中学3年生になり、日本への帰国が決まった中間さんは、進学先の高校選びに直面しました。そこで選んだのが、関西の名門私立である関西学院高等部です。しかしこの高校は偏差値67の難関校で、「勉強もスポーツもしないで遊びほうけていた」中間さんにとっては簡単に入れる学校ではありませんでした。

中学3年生の担任に行きたい高校を伝えたところ、「おまえじゃムリ。レベルを落とせ」と言われてしまいます。この言葉が中間さんの闘志に火をつけました。「それがめっちゃムカついて、そっから猛勉強したんです」と中間さんは振り返っています。

見返したい!!

見返してやろうという強い気持ちで猛勉強に取り組んだ中間さんは、見事に関西学院高等部に合格を果たしました。この経験は、中間さんにとって「やればできる」という自信につながったはずです。また、内申点を上げるために中学3年生の時に一時的にバレーボール部に入部するという計算高さも見せています。

中間淳太の高校時代

関西学院高等部での文武両道

関西学院高等部は1889年創立の関西学院大学の系列校で、部活動も盛んなことで知られる伝統校です。特にアメリカンフットボール部は全国レベルの強豪として有名です。中間さんは小学4年生から台湾に移住しており、高校入学のタイミングで日本に帰国してこの高校に進学しました。

高校時代の中間さんは、仕事もあったことから帰宅部で、部活動はおこなっていません。しかし学業には真剣に取り組んでおり、当時から英語が得意で、学年1位になったこともありました。台湾での生活経験と幼少期からの語学教育が実を結んだ結果と言えるでしょう。

その一方で、理系科目は苦手だったようです。化学では学年最下位の成績を取ったこともあったそうで、得意不得意がはっきりしていたことがわかります。

ジャニーズ事務所入所と関西ノリへの戸惑い

高校1年生の頃、中間さんはジャニーズ事務所に入所して芸能活動を開始しました。中学時代に台湾でジャニーさんと面識を持っていたことが、入所のきっかけとなりました。

しかし神戸市出身ながら台湾での生活が長かった中間さんは、ジャニーズJr.として活動し始めた当初、関西の雰囲気に馴染めなかったと語っています。

「関西ノリも合わなくて。台湾のクラスメイト、東京出身のコばっかりやったから慣れてないんで。普通にしゃべってんのに、『ボケへんのかい!』とかってのがイヤやったんですよ」と中間さんは振り返っています。

台湾で育った中間さんにとって、関西特有のツッコミ文化は馴染みのないものでした。しかし徐々に仲の良いJr.のメンバーができていき、特に帰る方向が同じだった濵田崇裕さん(後のWEST.メンバー)とはよく一緒にいたそうです。

B.A.D.結成とジャニーさんからの突然の指名

高校2年生の12月、中間さんのキャリアに大きな転機が訪れました。桐山照史さんとユニット「B.A.D.」を結成することになったのです。

このユニット結成のエピソードがユニークです。松竹座内のエレベーターにジャニーさんと乗っていた時、桐山さんとともに「YOUたちB.A.D.だよ」と突然言われたそうです。中間さんも桐山さんも、何か悪いこと(BAD)をして叱られると勘違いしたというエピソードが残っています。

B.A.D.には後にWEST.のメンバーとなる室龍太さんも在籍しており、このユニットでの活動が中間さんのパフォーマーとしての基礎を築くことになりました。

高校時代の挫折経験

しかし高校3年生の時、中間さんは初めてジャニーズ事務所を辞めようと考えるようになります。関西ジャニーズJr.の先輩や後輩とうまくいかなかったことが理由でした。

当時の中間さんは意識が低かったようで、インタビューでも次のように振り返っています。「人前に立ってキャーキャー言われて、歌って踊ってと。当時は楽な仕事だなと思った自分を叱ってやりたいですけど(笑い)」

裕福な家庭で育ち、将来の選択肢が複数あった中間さんにとって、ジャニーズJr.としての活動は必ずしも必死に取り組むべきものではなかったのかもしれません。しかし最終的には思いとどまり、活動を継続することを選びました。

中間淳太の大学時代

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関西学院大学社会学部への内部進学

高校卒業後、中間さんは関西学院大学社会学部社会学科に進学しました。高校が大学の系列校だったため、一般受験ではなく内部進学での進学です。偏差値58の社会学部は、経済や産業、法制度、社会問題などの人文系のジャンルを浅く広く学んでいく学部です。

中間さんは大学時代、マスメディアのゼミに入り、マスメディアが社会に与える影響やメディアで伝える技術を研究していました。アイドルとして活動しながら、メディアについて学術的に学ぶという興味深い立場にあったわけです。

成績優秀者として認められた努力

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大学時代の中間さんは、仕事の傍らで学業にもしっかりと取り組んでいました。その結果、成績優秀者に選ばれたこともあったそうです。

興味深いのは、中間さんがテストの際に1番最初に教室から退出するのが生きがいだったという点です。特にテスト前には猛勉強したとのことで、高校受験の時と同じように、目標を定めると集中して取り組むタイプだったことがわかります。

大学での学業成績の良さは、中間さんの真面目な性格と努力家の一面を示しています。芸能活動との両立は決して楽ではなかったはずですが、しっかりと両立させる責任感を持っていました。

大学3年生の大きな挫折

大学時代の中間さんにとって最大の転機となったのが、大学3年生の時でした。周囲の友人たちが就職活動をして次々と内定を得る中、中間さんは就職活動すらしていませんでした。当時はまだジャニーズJr.として活動しており、メジャーデビューの目処も立っていない状況でした。

「大学3年で、まわりはドンドン就職先が決まって。俺は就職活動すらしてない。『このままでいいのか?やめるなら今なんじゃないのか?』って」と中間さんは当時の心境を語っています。

さらなる追い打ち

さらに追い討ちをかけるように、ある人から「お前なんか絶対にデビューできない」と言われてしまいます。すべてが嫌になった中間さんは、ジャニー喜多川さんに「辞めます」と告げました。

その前年の2007年には、全員が年下のHey!Say!JUMPがメジャーデビューしたこともショックだったそうです。自分よりも後輩たちが次々とデビューしていく中、中間さんの焦りと不安は相当なものだったでしょう。

ジャニーさんの言葉と周囲の支え

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辞めることを決意した中間さんでしたが、ジャニーさんから強く引き留められました。「見ている人は、見ているよ」というジャニーさんの言葉は、中間さんの心に響いたはずです。

また、ファンからのファンレターも中間さんの背中を押しました。自分を応援してくれている人たちの存在を改めて実感した中間さんは、ジャニーズ事務所を辞めることを撤回しました。

横山裕の存在

さらに、関ジャニ∞の横山裕さんからの励ましも大きな影響を与えました。「けっこう悩んでいる時に横山君が電話をくれて、『お前逃げるのは簡単やからな。続けるほうが難しいねんぞ』というのを直接聞いて、それで考え直したかな」と中間さんは語っています。

この時期、中間さんはテレビドラマ「ごくせん」第3シリーズにレギュラー出演していました。2008年4月に桐山照史さんと一緒に出演し、知名度を上げていた時期です。すぐには辞められない状況も、結果的には幸いしたのかもしれません。

興味深いのは、父親はジャニーズJr.を続けることに反対だった一方で、実業家の祖父は中間さんに本気で会社を継がせたいと思っていたものの、「好きなようにしなさい」と言ってくれたという点です。家族それぞれの思いがある中で、最終的に中間さん自身が決断を下しました。

大学卒業と遊園地経営の卒論

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中間淳太さんは、芸能活動と学業を両立させてしっかりと大学を卒業しています。WEST.のメンバーで大学を卒業しているのは中間さんだけで、この点からも中間さんの真面目さと計画性がうかがえます。

大学での卒業論文のテーマは「遊園地経営成功のカギ」でした。東京ディズニーランドの経営的な成功を分析し、遊園地の経営について論じるという、社会学部らしいテーマです。アイドルとして活動しながら、ビジネスの視点から娯楽産業を分析するという視点は、中間さんならではのものと言えるでしょう。

大学卒業後も関西ジャニーズJr.の一員として引き続き活動しましたが、この時期以降、中間さんは一度も辞めようとは思っていないそうです。大学3年生の時の挫折経験が、逆に中間さんの覚悟を固めることになったのでしょう。

中間淳太の学歴から見る現在の活躍

中間淳太さんの学歴と経歴を振り返ると、現在の多彩な活躍につながる要素が数多く見えてきます。

4ヶ国語を操るマルチリンガルとしての強み

幼少期からの国際的な教育環境で育った中間さんは、日本語、英語、中国語(北京語)、広東語の4ヶ国語を操るマルチリンガルです。この語学力は、WEST.の海外進出やアジア市場での活動において大きな武器となっています。

台湾での生活経験と語学力を活かし、中間さんはグループの国際的な活動をサポートする重要な役割を果たしています。まるで俳優の金城武さんのように、アジア全体で活躍できるポテンシャルを持っているのです。

高学歴と知性を活かしたMC力

関西学院大学を卒業した高学歴の持ち主である中間さんは、その知性を活かして情報番組のMCとしても活躍しています。特に「ヒルナンデス!」では、小学6年生の時に写真を撮ってもらった南原清隆さんと共演し、優れたトーク力を発揮しています。

大学時代にマスメディアについて学んだ経験も、MC業に活きているのではないでしょうか。アイドルとしてメディアに出演する立場から、メディアの仕組みを学術的に理解していることは、他のアイドルにはない強みと言えます。

ジャニーズWESTからWEST.へ

2014年4月、中間さんが26歳の時、ジャニーズWESTのメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。何度も辞めようと悩んだ末に掴んだデビューは、中間さんにとって格別な意味を持っていたはずです。

グループはすぐに人気アイドルグループの仲間入りを果たし、中間さんは最年長メンバーとしてグループを牽引する存在となりました。2023年にはジャニーズWESTからWEST.に改名し、新たなスタートを切っています。

裕福な家庭環境と「金持ちキャラ」

中間さんは自身の裕福な家庭環境を隠すことなく、「金持ちキャラ」として親しまれています。回転寿司に行ったことがない、100円ショップで買い物をしたことがないといったエピソードは、ファンにとっても楽しいキャラクター要素となっています。

お笑いコンビTake2の東MAXこと東貴博さんのような「御曹司キャラ」として、バラエティ番組でも活躍の幅を広げています。裕福な家庭で育ったからこそ選べた道ではありますが、それでもジャニーズの道を選び、苦労を重ねてきた中間さんの姿勢は尊敬に値します。

まとめ

中間淳太さんの学歴を詳しく見てきました。神戸中華同文学校から台北市日僑学校へ、そして関西学院高等部から関西学院大学へと、一貫して質の高い教育を受けてきました。台湾人の父と日本人の母を持つハーフとして、小学4年生から中学卒業まで台湾で過ごし、4ヶ国語を操るマルチリンガルとなりました。

しかしその道のりは決して平坦ではありませんでした。高校時代と大学時代の2度、ジャニーズ事務所を辞めようと真剣に悩み、特に大学3年生の時にはジャニーさんに「辞めます」と告げるところまで追い込まれました。それでも、ジャニーさんの言葉、ファンの支え、横山裕さんの励ましによって踏みとどまり、2014年のメジャーデビューという夢を実現させました。

関西学院大学を卒業し、成績優秀者にも選ばれた中間さんの真面目さと努力家の性格は、現在のMC業や多彩な活動にも活きています。裕福な家庭で育ち、将来の選択肢が複数あった中で、それでもアイドルの道を選び、苦労を重ねてきた中間さんの姿勢には、多くの人が共感し、応援したくなるはずです。

WEST.の最年長メンバーとして、4ヶ国語を操るマルチリンガルとして、そして高学歴の知性派タレントとして、中間淳太さんの活躍はこれからも続いていくでしょう。何度も挫折しかけながらも乗り越えてきた経験が、今の中間さんを支えているのです。

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