三宅健の高校・中学校はどこ?幼少期の生い立ちは?双子ってほんと?

2020年11月1日でデビュー25周年を迎え、歌手としてはもちろんのこと、舞台にドラマ、料理番組に司会業と様々なジャンルで活躍し続けるV6。

今回は、人一倍メンバー思いで、ファンを誰よりも大切にし、奇跡のおじさんと呼ばれ、若さを保ち続ける三宅健の学歴や生い立ちをご紹介します。

三宅健のプロフィール

  • 本名:三宅 健
  • 生年月日:1979年7月2日
  • 身長:164cm
  • 出身地:神奈川県

三宅健は、1979年神奈川県で生まれました。ジャニーズ事務所へ入所したのは、1993年5月4日。三宅健の叔母が履歴書をジャニーズ事務所に送ったのが入所のきっかけだったそうです。

三宅健は、ジャニーズJr.の頃から超エリートと呼ばれ、ジャニーさんからも相当気に入られていた様子。

履歴書を送った数日後に突然ジャニーさんからの電話が入り、SMAPのコンサートにいきなり少年役で出演してしまったという逸話を持っています。

また、ジャニーさんからは「YOUはビジュアルでいくから」と言われ、ダンスレッスンも免除された期間があったこともありました。

それでも、当時ダンスが人一倍上手で、後に同じグループとしてデビューすることになる森田剛に追いつきたいという一心で、ダンスレッスンに通いたいと自らが志願して練習に励んでいたそうです。

その甲斐もあってかジャニーズJr.時代は、森田剛と「剛健コンビ」と呼ばれ、ジャニーズJr.として初めて単独のコンサートを開催し、そこでセンターを務めていたのもこの「剛健コンビ」でした。

その後ジャニーズJr.の黄金期と呼ばれる、いわゆる滝沢秀明がジャニーズJr.をまとめていた時代がやってきますが、この「剛健コンビ」はまさに黄金期の先駆けと言えるでしょう。

V6としてデビューしてからも、グループとしてドラマやバラエティ番組などで活躍すると同時に、ソロ活動ではNHKで手話の番組を担当するなど、今現在も大いに活躍しています。

以下、三宅健の学歴や生い立ちについてご紹介します。

三宅健の高校時代

  • 東海大望星高校(中退)
  • 東京都渋谷区富ヶ谷2-10-1
  • 偏差値なし

東海大望星高校は、通信制・単位制の高校としても人気で、栗原類や徳澤直子男などのファッションモデルや夏帆や榮倉奈々、小沢真珠などの女優も卒業しています。

ジャニーズ事務所内でもTOKIOの長瀬智也やKinki Kidsの堂本光一、同じV6のメンバーの井ノ原快彦、嵐の大野智、関ジャニ∞の大倉忠義などが在籍していました。

高校1年生だった1995年11月1日にV6としてデビューを果たしており、なかなか高校に通うことも難しくなってしまったため、残念ながら中退しています。

中退した時期は不明ですが、高校時代には日本テレビ系『伊東家の食卓』へレギュラー出演をしており、ロングラン番組となり、三宅健の知名度が一気に上がりました。

三宅健の中学校はどこ?

  • 高松市立紫雲中学校
  • 香川県高松市紫雲町8-25
  • 偏差値なし

神奈川県出身で高校は東京都なのに、どうして香川県?とお思いの方もいるかと思います。

後ほど触れていきますが、実は三宅健の父親は幼少期に他界しています。

母親の実家が香川県にあったため、小学校、中学校共に香川県の学校に通っていたようです。

三宅健の中学時代

この頃母子家庭だった三宅健は、家計を助けるために新聞配達のアルバイトをしていました。

ジャニーズ事務所へ入ったのも中学生の頃です。

中学生の頃は、ジャニーズ事務所の合宿所で生活をしていたこともあり、ジャニーズ面々とのエピソードを以前フジテレビ系『TOKIOカケル』で披露していました。

合宿所で生活していた時、ジャニーズ事務所の中でも特別待遇だった三宅健は、森田剛や当時の他のジャニーズJr.と共にツケで食事をしていたというのです。

ジャニーさんのお金で食べられるようになり、「お腹すいたんだけど」とジャニーさんに電話すると、「叙々苑弁当頼んじゃって」と言われたので、初めて叙々苑の存在を知ったのはなんと13歳の時だと語っています。

あまりの待遇の違いに、番組MCのTOKIOの松岡昌弘や国分太一は驚いていました。

しかも、三宅健はジャニーさんからの信頼が厚かったため、お金を置いてある場所を唯一知らされており、金庫番だったことも告白。

支払い係を13歳で任せられるとは、驚きですよね。

また、中学時代には俳優デビューも果たし、ジャニーズアイドルとして順調に活動していました。

三宅健の小学校はどこ?

  • 高松市立二番丁小学校(現在は、高松市立新番丁小学校)
  • 香川県高松市錦町2-14-1
  • 偏差値なし

前述したように、母親の故郷が香川県であったため、小学校は香川県高松市の高松市立二番丁小学校に通っていたようです。

小学校時代には、塾に通ったり、水泳やピアノを習ったりと、充実した毎日を送っていたようです。

中でも、水泳が得意でなんとジュニアオリンピックの大会では入賞したことがあるほどの実力の持ち主。

実は母親が水泳のコーチをしていたようで、納得ですよね。

三宅健本人も「中学生ぐらいまでやってた時は4種目、バタフライもバック(背泳ぎ)もブレスト(平泳ぎ)もフリー(クロール)もできていましたけど、今はどうかわからない」とパーソナリティを務める『三宅健のラヂオ』で語っています。

過去には番組で競泳の北島康介と対決をしたこともあり、水泳が得意というのはファンの間では有名な話です。また、ラジオ内で小学生の時のトラウマについても語っています。

三宅健といえば独特な個性のある歌声でファンを魅了し続けていますが、小学生の頃、母親から「絶対によそで歌とか歌わない方がいいよ」と言われたことでトラウマとなり、以降音楽の授業を出来る限りボイコットしていたとのこと。

しかし、歌のテストだけは逃れることができず、当時のエピソードを次のように語っています。

1人ずつ先生の前でテストみたいな感じで披露しなきゃいけなくて。最悪だなと思って。どうしよう、後ろで待ってる奴に聞かれちまうって、自分の歌を。そこで思いついたのがファルセットだったんですよ。先生に普通に歌いなさいって言われたんだけど、僕はこの歌い方しかできません、って言って

まだ幼い三宅健のかわいらしいエピソードですね。

三宅健の幼少期の生い立ちは?家族関係は?

三宅健は、両親、弟との4人家族です。前述したように、三宅健の父親は幼少期に亡くなっています。鉄道事故が原因だったという情報はあるものの詳細は分かっていません。

父親との死別により、母親の故郷である香川県高松市に移り住み、小学校、中学校を過ごすこととなりますが、少しでも生活が楽になればとの思いから、中学校時代には新聞配達のアルバイトをしていましたというのは前述のとおりです。

叔母の勧めでジャニーズ事務所に応募しジャニーさんから気に入られ特待生としてエリート合格を果たしていますが、実は家計を支えたいという強い思いもあり、ジャニーズであれば叶えることができるのではないか、母親を楽にしてあげられるのではないかとも考えていたようです。

そんな母親思いの三宅健ですが、最愛の母を2010年に膵臓癌で亡くしています

両親共に亡くなってしまい、悲しみに暮れる中、三宅健のアイドルとしてのプロ意識は高く、母親の亡くなった2日後の葬儀当日もいつも通りロケに参加し、ファンや関係者に余計な心配をかけたくないとの一心で仕事に取り組んでいたようです。

その後ジャニーズweb内の公式ブログ「にこにこ健゜」にて最愛の母とのお別れについて触れる内容を投稿しており、両親を亡くした三宅健を心配するファンが後を立ちませんでした。

しかしながら、V6の他のメンバーが三宅健をメンタル面でも支え、これまで活動してきたというので、メンバーは三宅健の家族と言っても過言ではないでしょう。

三宅健は双子ってほんと?

三宅健は両親、弟の4人家族のようですが、実は過去に双子の姉がいるという噂がありました。

というのも、弟である三宅秀明は、過去にジャニーズJr.として活動していた時期があり、とある雑誌のプロフィール欄に姉がいるとの記載があったためです。

実際には、三宅健本人の口から「俺なんて姉がいることになってるからね」と語られており、過去には何度もテレビや雑誌などのメディアで家族は母と弟と断言しているため、姉の存在は噂に過ぎないでしょう。

なぜ雑誌に姉と掲載されたのかは不明ですが、三宅健は4人家族ということで間違いなさそうです。

三宅健と弟三宅秀明の関係は?

実弟である三宅秀明がジャニーズJr.だったのは、ほんの一時期のことで、三宅健よりも後に入所しすぐに退所してしまったようです。

兄弟仲はとても良好のようで、重篤な状態になった入院先の母親を弟と一緒に見舞い、看取ることができたと言っているため、弟の絆は深いようですね。

三宅秀明については、一部のファンの間で、議員なのでは?との噂がありますが、単なる同姓同名なだけで、実弟が現在何をしているのかは分かりません。

三宅健の学歴まとめ!偏差値は?

今回は、容姿端麗でいつまでも若々しいアイドルのV6のメンバー、三宅健についてご紹介しました。

神奈川県に生まれながらも、父親が鉄道事故に見舞われ、母親の故郷である香川県高松市で小学生、中学生の時期を過ごすこととなり、高校は進学したものの芸能活動が多忙だったため中退をしています。

各々の学校には偏差値が存在しないため、三宅健の学生時代の学力レベルは分かりませんが、小学生の時には進学塾に通っていたという情報もあり、勉強が嫌いだったというわけではなかったようですね。

壮絶な過去を経験しながらも、ファンを第一に考え、アイドルとして活動し続ける三宅健にはプロ意識の高さを感じます。

過去の握手会でファンが手話で話しかけてくれたものの、何と言ってくれてるのか分からなかった経験から、手話を学ぶことを決意し、そのレベルはNHKの『みんなの手話』を任され、さらにはパラリンピックのメインパーソナリティに就任するほどにまで上達しました。

そんな努力家で、魅力と才能あふれる三宅健から今後も目を離せません。

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